イナズマ

桜は咲いたり散ったり好き勝手に振舞って、始まりの標べとするには些か不適当ではあるが、未だ取り残された花弁を吹き飛ばすための嵐が近づいてきているのもまた確か。
遠くで春を告げる鐘は鳴らない。
何を合図とするでもなくやってくる。
強いて言うならばあの嵐の中心に降る稲妻だろうか。
逆立つ白い毛並みに蒼い眼、そんな獣だ。


陽気な音楽の流れる街に降り立って、すると人々は恐れ慄いて家の中に隠れてしまう。
ひと時の静けさに包まれた街で、風に流されひとり転がる空き缶が五月蝿い。
空から地面を鈍く叩く驟雨が五月蝿い。
獣の唸り声が低く天を衝く。
窓から外を窺う小さな子供。
その子供が誤って物音を立ててしまう。
獣が反射的に鋭い眼先を音の方角に突きつける。
子供の口を手で覆い震える母。
近く足音はゆったりと、行きどころのない怒りを帯びていた。
緊張の走る間、息を止める間。

だが次の瞬間には、そんな獣も、あんな嵐も、何もかもが嘘だったかのように、静かな街だけが在った。
暗雲から割って入る一陣の光、次第に顔を出す人々。
何事もなかったかのように街が賑わいを取り戻す。
イナズマは去った。
暫く蒼い残像が遠くの空に残る。
足元には濡れた花弁が桜色に敷かれていた。