死にました 死にました

生きてます 生きてます
僕は無事生きてます

これは本来 昨日書こうとしてたもの
自分の死生観を揺らがした人間のお話
儚く尊い人間のお話



自分が
最も尊敬し
最も影響を受けただろう人間が2人


彼等は死にました

死にました 死にました




太宰治

彼は死にました

1948年6月13日
齢38 玉川上水にて入水し 死にました

言わずと知れた 文學界の立役者
彼は 人間失格 という遺作を残し 死にました

人間失格を読んだ時は
得体の知れぬ狂気に背筋を凍らせ
異様な共感に 心の臓を掴み盗られ
多岐とした感情が混ざりに混ざってぐちゃぐちゃになった
この粗雑な文章の如く


彼はいつも
なんともつまらなそうな顔で写真に写っている

あぁ わかる

とだけ


人間失格には
自らを道化師と称し 偽り続けた人間の生涯を綴っていた

あぁ わかる

とだけ


遠い時の人だ 遠い死だ




椎名もた

彼も死にました

2015年7月23日
齢20 死因は公開せず 死にました

VOCALOIDでの楽曲制作をし 齢16にてCDデビューを飾った若き音楽家
彼は 赤ペンお願いします という遺作を残し 死にました

死因は不明
自殺とも脳卒中とも噂されるが 憶測で議論するだけ無駄だろう
ただ 成人式を済ませた彼の 最期の言葉

大人になったから魅力がなくなった、と。
大人になってはいけないらしいですね

これに 不意に太宰治の言葉に被せてしまい また胸打つ

大人とは、裏切られた青年の姿である。

このことから
彼は大人になることを自ら止めたのでは
と僕は解釈している
しかしこれまた憶測


曲中には 自分の死を予感したような歌詞が多く含まれていて
それが彼の死を伴って 一言一言が 重く重く 感ぜられる

聴くたびに
あぁ 君はもういないんだね
という実感に包まれ 涙腺が唸る


最期のアルバム

生きる の最後の曲

さよーならみなさん が すき


siinamota / 椎名もた - Goodbye Everyone / さよーならみなさん


近き時の人だ 近い死だ



彼等の言葉はどれも重く鋭く
無関心に生きてた自分の心の殻にヒビを入れた

僕が彼等のことを詳しく知ったのは今年のこと
死んでからだ
できれば一度くらい話してみたかった
でももう死んだ
会うことも 話すこともできない


遠い死と 近い死と
2つの死は
今尚 生き存えてる自分の 血となり肉となり
身体中を駆け巡っている



ところで

死 という言葉を多用している

失礼だろうか

僕はそうは思わない

日本は古来から 死 という言葉を忌むべきものとして
直接的な表現を避けて 敢えて遠回しの言い方をする

勿論自分も
亡くなりました 逝去されました
なんて丁寧な言い回しはできるけど

死 を
自らの死を以って 強く焼き付けてくれた彼等に対して
彼等の死を避ける言い回しをした方が 失礼に値する

だから僕は言う


死にました 死にました


生きるってのはたいへんなんだ
なんもみえない真っ暗闇を 裸足で歩いてるんだ
誰しもが 不安で不安で仕方がないんだ
だからみんな目を瞑る
目を瞑ったまま 感覚を閉ざして ただただ歩く

そんな中で
死と向き合って もがき続け生きた彼等は 強く 美しく

唯一無二の 不変の芸術である


彼等を誇りに思う

彼等を永遠に愛そう