木曜の帰り路

ちょうど4限の授業を終え、帰路につく頃だった。
お馴染みのバス停に並んでバスを待つ。
待ち時間というのは暇なもので、何故か意味もなく考えることに耽ってしまう。
とは言っても別に考えたいこともなくて、西陽が暑いなあとか、前方の風車がよく廻ってるなあとか、空が青いなあとか、そんなどうでもいいことばかりなんだけどね。

そういえばこの前のゼミで「幸せだと感じる時は?」という問いがあった。
それに対して「暇なとき」と答えたんだけど、笑われてしまった。
少し困惑したね。
「暇な時って幸せじゃないのかい?」
そう訊ね返したけども、賛同は得られず。
人類共通の感覚だと思っていたから驚いた。

対して「考えている時が幸せ」という誰かの意見には賛同があった。
しかしなんとなく違和感を覚えた。
考えることは嫌いじゃないが好きでもない。
辛いからだ。
胸の奥底の怠惰な気質が、苦痛を遠ざけたいと叫んでいるからだ。

物事を考えている時、生きていると感じることができる。
だけれども、考えなければ生きていけないことを知ってしまい、考えることは不幸な行為だと認識する。
人間は思考する知能を持ったが故に、不幸な生き物だ。



バスがやってきた。
考えるのはもうやめにしよう。
木曜日が終わる。